記念講演

 
祖国統一のための海外同胞の役割

 在米同胞のみなさん。アンニョンハシムニカ。

 −『民族通信』が創刊三周年に際して制定した「第一回民族言論賞団体受賞者」に日本で発刊されてきた『統一評論』が選定されました。祝賀をおくります−

 さる三月中旬、この知らせを受けたとき、正直にいって信じられませんでした。世の中にはご承知のように多くの「賞」があります。ノーベル賞とか、アカデミー賞とかがそれです。
 今回、『民族通信』が授与してくださった「民族言論賞」は、わが民族最大の宿願である祖国の統一を成就するために多少なりとも寄与することを唯一の目的として発刊されてきた『統一評論』にとって、まさに世界に数多くあるそのどの「賞」よりも数十倍、いや数百倍も名誉ある「賞」であり、受賞はこの上ない栄光ある「賞」です。
 『統一評論』が創刊されて四一年になり、私が編集にたずさわって二〇余年になりますが、このような栄誉、栄光を受けたことははじめてのことです。ゆえにこれはけっして誇張ではなく、今日という日は『統一評論』にとって、また私自身にとってもまさに歴史的な日といえます。
 この栄誉ある「民族言論賞」を授与してくださった『民族通信』の盧吉男先生をはじめとする諸先生方、そして今日この席に参席してくださっている在米同胞のみなさんに心から感謝いたします。また「民族言論賞」個人賞を受賞なさった朴ヘジョン記者にお祝いの言葉をおくるものです。

 月刊雑誌を編集し引き続き発刊していくことは簡単なことではありません。ときにはあまりに疲れて逃避したい考えが頭をよぎることもありました。しかしそんなとき、私の耳に聞こえてくる声があります。それは「一日も早く統一を達成し、統一を志向する雑誌など必要のない世の中をつくろう」と、今から四一年前、一九六一年四月一九日、李承晩独裁政権を打倒した四・一九革命一周年を迎え、「お金のある者はお金を出し、知識のある者は知識を出そう」という統一志向の心から『統一評論』を創刊した在日同胞有志たちの「統一」の声でした。私はその声にいつも力と勇気を得て仕事を続けてきました。
 今回、受賞した「民族言論賞」はわが『統一評論』、そして編集者である私に、新たな力と勇気を与えてくれました。その力と勇気はこの世のどのような宝物とも替えることのできない、まさに貴重なものです。今回の受賞を契機に、−より内容の濃い、名実ともに統一に寄与できる雑誌を引き続き編集、発刊していこう−これが今日、この場で「民族言論賞」を受賞した私の実感です。

 しかしここで私はやや矛盾する話をせざるをえません。いま私は「引き続き編集、発刊していく」と話しましたが、その真意はけっして引き続き、長く発刊しようというものではなく、「できるだけ早く統一を志向する雑誌の発刊を止めよう」というものです。
 四一年前の創刊号にこのような言葉が書かれています。
 「われわれは雑誌編集の専門家ではないが、けっして専門家になることを願ってはいない」「一日も早く統一を達成し、雑誌編集の専門家となる前に廃刊しよう」
 本来、雑誌を発刊する人々が何よりも重要視し、願ってやまないことは、できるだけ長い間、引き続きその雑誌を発刊することです。ところがそのような一般常識とは異なり、『統一評論』は長い間にわたって引き続き発刊されることを願わない、おそらく世界に各種の雑誌が数多くあるといっても、唯一の雑誌、言葉を変えるならばとても異色な雑誌であるということができます。
 その理由は、みなさんもすでに推測なさっているように、「祖国の統一を一日も早く成就し、統一を志向する、統一に寄与しようとする雑誌が必要のない世の中をつくろう」が『統一評論』の編集、発刊の信念であり唯一の目標であるからです。
 ゆえに栄誉の「民族言論賞」を受賞した感想、今後の決意を私は改めて次のように申し上げたいと思います。
 「『民族言論賞』を受賞した栄誉と喜びを力と勇気とし、雑誌を一日も早く廃刊するために力の限り働きます」と。

 ところで最近の諸般の統一情勢をみるとき、実際に廃刊の日がそう遠い日のことではないと、私は感じています。
 私たちは一カ月後にあの歴史的六・一五南北共同宣言発表二周年を迎えます。
 私は六・一五南北共同宣言こそ、私たちみなの願いである民族統一を成就する上で画期的な転換期、つまり分断の旧世紀を終息させ、統一の新世紀をきり開いた歴史的宣言であると考えています。それはこの二年間の間、紆余曲折、部分的な後退現象がありましたが、そのようなやや悲観的な側面をはるかに凌駕する可視的な南北関係の肯定的変化、海外同胞を含めたわが民族みなの大きな統一意識の変化、いってみれば今やいかに「うつけ者」ブッシュが「奇特なお菓子」を喉につまらせて倒れながら「悪の枢軸」やら何やらを叫んでみたところで妨げることのできない、滔々たる統一大河の流れが統一はいまや近い将来に必ずや現実となるという確信を抱かせてくれるからです。

 ブッシュ政権登場後、アメリカはこれまでの北・米間の合意を無視し、いわゆる「対北強硬政策」をうんぬんしながら北を政治、経済的に孤立させ軍事的に圧殺しようとの強硬政策を公式に宣布し、自己の対北強硬政策に歩調を合わせることを金大中政権に強要し、南北対話進展にブレーキをかけています。
 みなさんもご承知のように、これに力をえているのが韓国内の分断守旧勢力です。六・一五南北共同宣言が発表された後、全民族の民族和合と統一を志向する流れ、滔々たる統一大河の流れ押されて社会の片隅に追いやられた分断守旧勢力が、まるで待ってましたとばかりに、時期がきたといわんばかりに金大中政権の南北対話政策をことあるごとに歪曲、誹謗、中傷しています。
 そのような状況を見て、少ないない人々が「統一大河の流れが止まった」と誤った考えを持ち、悲観主義に陥っています。しかしそのような視角は「木を見て森を見ない」という言葉が適切な視角といえます。

 昨年の七月、東京で開かれた統一セミナーの席上で私はこんな話をしました。
 「私たちは統一問題を考えるとき、目前のさまざまな個々の動きを見て一喜一憂するのはやめよう。むろん現象的に見るならば、さまざまな難関はありえる。しかし今日の新聞を読んでは悲観し、翌日の新聞を読むと楽観するが、また次の日の新聞を読むとふたたび悲観してしまっては結局、統一を妨げようとする者たちの論理に引き込まれてしまう」
 六・一五南北共同宣言以後、紆余曲折はあっても民族の和解と統一を志向するわが民族の意識は大きく変わったのであり、統一大河の流れは引き続き力強く流れているのです。
 これと関連していくつかの実例を上げてみましょう。ブッシュが北を指して「悪の枢軸」呼ばわりしたことに関して韓国の新聞、雑誌が実施した世論調査によれば、その発言が「適切だ」とした人は二一%に過ぎず、「不適切な発言」とした人は七三%に達しています。またブッシュ政権の「対北強硬政策」に関しても六〇%の人々が反対の意思を明らかにしているのです。
 さる四月初めに林東源特使が訪北し、「南北共同報道文」が発表されたことと関連して実施された世論調査によれば、特使訪北による南北関係の進展の可能性について六七%が楽観的に見ており、金大中政権の対北政策についても七四%が支持し、今年末の大統領選挙によってどのような政権が生まれるとしても八三%が和解・協力の基調は維持されるべきだと答えています。
 また、反統一保守勢力が必要に騒いでいる対北協力に関する、いわゆる「大盤振舞い」批判論に関しても、六二%の人々が現在の水準ないしはそれ以上の支援が必要だとしています。
 現在、平壌では「アリラン」公演が開催されていますが、これに関する世論調査結果もあります。これは統一部が実施したものですが、応答者の過半数以上である五八%の人々が観覧が許されるならば観覧したいという意思を明らかにしています。

 いまお話しした各種の世論調査の結果をみなさんはどのように思われますか? 
 仮に六・一五南北共同宣言が発表される前、数年前に同じような世論調査が実施されたならば、このような結果が出たでしょうか? 絶対に出なかったといえます。
 このように繰り返しお話ししますが、六・一五南北共同宣言は統一情勢を大きく転換させ、それによる統一大河の流れは滔々と流れているのです。
 歴史的な六・一五南北共同宣言発表二周年を一カ月後に迎える今日の時点において、私たちみなが統一情勢の変化、統一大河の流れについて、主人公としての立場と視角をもってよく見るべきだと私は考えます。
 とくにブッシュ政権登場後の一連の困難な状況の中で、われわれは原点に戻って考えるべきです。それでこそ正しい視角をもつことができます。どういう意味かといえば、統一とは誰かがプレゼントしてくれるものではなく、私たちが主人公として勝ち取るものという意味であり、海外に暮らす私たちも当然、民族統一の主人公であるという意味です。

 六・一五南北共同宣言の第一項は、この宣言の基礎理念であると考えます。そこには「国の統一問題を、その主人であるわが民族同士が互いに力を合わせて自主的に解決することで合意した」と明記されています。
 これは別にむずかしい言葉ではありません。統一の主人は私たちであり、民族同士が力を合わせて統一を達成しようということです。「私たちが主人であるからして、民族同士、民族の力で統一しよう」という理念は、わが民族が分断された直後から統一の基本理念として提示されてきたものです。
 一九四八年四月の、金九、金奎植先生も参席された南北諸政党、社会団体代表者連席会議において採択された「同胞に訴える」という文書においても「三千里の祖国の大地から外国軍隊を撤去させ、どのような外勢の干渉なく、わが民族同士で民族の問題を解決しよう」とされており、ご承知のように七・四南北共同声明、南北基本合意書においても、この理念が明記されています。
 「わが民族同士、力を合わせ、民族自主と民族共助で統一を達成しよう」−これが私たちが統一問題を考える上での基本理念、基本視角となるべきであり、とくには現在の複雑で困難な状況、その峠を超えるための基本的鍵ではないでしょうか。またこれはこれまでの半世紀にわたる分断史において、私たちが骨身にしみて実感している教訓でもあるのです。

 現在、私が暮らしている日本には八〇余万人の同胞がおり、ここアメリカにも一〇〇万人を超える同胞が暮らしていると聞いております。
 海外同胞の場合、本国と遠く離れた異国の地に暮らしているので、ともすると本国の情勢、統一問題に無関心になりやすいといえます。とりわけ私が暮らしている日本、そしてみなさんが暮らしているアメリカという国は、ともにわが民族の統一に反対し、執拗に妨害している国です。したがって聞こえてくる声は「統一はむずかしい」「北韓は崩壊する」などなどの声がどうしても多いといえます。
 そのような声を聞いていると、自分でも気がつかないうちに民族問題、統一問題に関して誤った視角を持つようになりがちであり、また無関心になりやすいものです。
 在日同胞社会においても世代交代が進み、三世、四世、五世が在日同胞社会の大部分を占めるようになりました。かつての国を奪われた植民地奴隷暮らしと苦痛に満ちた分断時代を暮らしてきた一世、二世にくらべ、若い世代には民族問題、統一問題に無関心な層が遺憾ながら増えています。
 彼らはよくこのような質問をします。
「統一はいつなるのですか?」と、そのようなとき私はこう答えます。
「統一は君が統一問題を自己の内なる問題と考えるとき、達成される。これを少し読んでみなさい」
 そして『統一評論』を読んでみるように勧めます。

 わが海外同胞社会においても、六・一五南北共同宣言以後、大きな変化が起こっていると考えます。日本においてもかつては「総連」だ、「民団」だと対立していましたが、今日では一堂に会してさまざまな集まりをもち、花見や野遊会をともにしながら「われらの願い」を肩を組み、手をとりあって歌うようになりました。
 おそらく在米同胞社会においてもどうではないかと思います。
 統一の主人公は私たち海外同胞を含めたわが民族です。
 統一のために北部祖国の人々がやるべきことがあり、また南部祖国の人々がすべきことがあり、むろん私たち海外同胞がすべきことがあります。
 とくに日本と米州に暮らす海外同胞は、その数も他の国々に暮らし海外同胞よりもはるかに多く、互いに地からを合わせて進ならば統一のために、ある面では本国の人々よりも大きなことを成し遂げることができます。
 ひとつ例を上げるならば、わが民族の統一に反対し妨害している日本、アメリカといった国の政策を転換させるための世論を喚起させることは、私たちが、また私たちのみができる重要なことではないでしょうか。
 また海外同胞社会において、いまやその中心を形成している若い世代が民族の言葉と文字を学び、民族の魂をしっかりと持てるようにし、統一のために代をついで運動していくようにすることも大切なことであると思います。
 私たち海外同胞も、統一の堂々たる主人公として滔々と流れる統一大河に身を投じてこそ、統一の大河が流れていることを実感できるのであり、難関があろうとも確信をもって進みことができます。川辺に座り「どれ、流れているかな?少し止まっているな」と傍観していてはなりません。
 みなさん。私たちはたとえ遠く離れた日本と米州に暮らしてはいますが、同じ海外同胞として統一のためにともに手を握りあって力を合わせていこうではありませんか。

 最後に最近、北で流行っているという「われらはひとつ」という歌の一節を紹介しようと思います。
 
 ひとつ 言葉もひとつ/文化もひとつ 歴史もひとつ/ふたつになれば暮らせないひとつ/
 白頭から漢孥まで/分断の障壁を崩し/統一の熱風が山河にあふれるように/
 ひとつ/われらはひとつ/太陽朝鮮/われらはひとつ

 統一なったその日、『統一評論』が廃刊されるその日、みなさんがふたたび私を呼んでくださり、廃刊を祝ってくださることを心から願いながら私の話を終わりたいと思います。
 心から感謝いたします。
2002.5.5 米L.A.

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